第3章 反逆 /sect.4


 真田はベッドに横になり、棚の上に置かれた熊のぬいぐるみを見るともなしに見ていた。
 このぬいぐるみは、帰還後一か月ほどした頃、ヨーロッパ地区にコスモクリーナーと食料プラントの据え付けに行った時、地元の幼い少女から緑が手渡されたものだった。放射能汚染に脅え、飢えに悩まされる日々から救われた人々の感謝は大変なもので、特にイスカンダルでスターシャから贈られた医療機械の量産品を設置したことは、明日をも知れない病に苦しんでいたたくさんの人々の命を救った。熊のぬいぐるみをくれた少女は重症の放射線病で、設置後最初に機械を利用した一人だったが、機械から出てくるやいなや傍らで機械の操作をしていた緑に抱きつき、大切そうにこのぬいぐるみをくれたのである。その時、少女が青い目を見開いて言った言葉が浮かんでくる。
…「お姉さん、ありがとう。この熊ちゃんは、私が痛いときにずっとなぐさめてくれたの。でも、お姉さんが私の病気を治してくれたから、この熊ちゃんはお姉さんにあげるね。困ったことがあったら、熊ちゃんに言えばきっと助けてくれるからね」

 緑はベッドの横に立って真田の首筋と肩を揉んでいた。…真田自身は自覚していなかったが、ずっと義手義足を使ってきた真田の首や肩、腰は、その負荷と激務の連続のために凝り固まっていた。結婚して間もなくそのことに気づいた緑は、毎日、就寝前に真田の首筋や肩、腰のマッサージをするようになったのである。真田は当初断り続けていたが、前世紀の珍しい文献データで良い方法を探し当てたから試させてほしい、などと言って頼まれると断り切れず、やがてそれは二人の習慣になっていった。最近は、目に見えて体が軽くなってきているのがわかる。真田は、緑のきゃしゃな指が耳の後ろから肩にかけてなめらかに押していくのを感じながら目を閉じた。
(このままでは、緑だけじゃなく、あの少女や、数え切れないほど多くの人達の命が危険にさらされることになる……しかし、出航したら最後、連邦政府への反逆者だ。緑との暮らしはすべて失われる。本当にそれでいいのか)
 眉間にしわを寄せている真田を見て、緑は手を止めた。
「すみません。少し、強すぎましたか」
 真田は振り返った。
「ああ、いや、違うんだ。ありがとう。すごく楽になったよ。…今日はもういいよ。疲れただろう」
 緑は微笑んでかぶりを振った。
「いえ、大丈夫です。もう少しですから、こちら側もすませてしまいますね。まただいぶ疲れがたまっていらっしゃいますね」
 真田は視線で感謝を伝えると枕に頭を戻した。緑は指圧を続けながら真田の視線をたどり、ぬいぐるみを見た。ふっと頬がゆるむ。
「……熊ちゃんにお願いして、助けてほしい気がします」
「防衛会議だろう。…しかし、相手があいつらじゃ、おそらく無理だろうな」
「はい。…資材や消耗品の調達ですが、念のために決裁書類と調達関係の文書を作って搬送の準備を始めておいてもよろしいですか」
 静かな緑の声に、真田は驚いて身体を起こした。
「緑、おまえ…」
 緑は微笑んだ。
「できるだけ合法的な形にしておきたいので、出航理由は、瞬間物質移送機の実証試験で太陽系内だと失敗したとき地球に被害が出るおそれがあるからとか、適当に書いておきますね。明日の会議がうまくいって、使わないですめば、それに越したことはないですが」
 真田は黙って緑をベッドの上に引き寄せ、抱きしめた。やがて、低い声で言う。
「…本当に、いいのか」
 緑は真田の胸に顔をうずめたままうなずいた。しかし、すぐにはっとして顔を上げる。
「私も連れて行ってくださるんですよね」
 真田は目をそらした。緑は真田から身体を引き離すと叫んだ。
「いやです!何があっても絶対にご一緒します」
「緑、たとえ決裁書類があっても、長官がサインしなければそれまでだ。そうしたら、間違いなく反逆罪になる。そんな航海におまえを連れて行くようなことは」
 真田は緑の両肩に手をかけ、言い聞かせるように話していたが、緑の目から涙がこぼれ落ちるのを見ると途中で黙り込んだ。緑はいったんうつむいたが、顔を上げて言った。


「…もし反逆罪になったら、階級も役職も一番上のあなたが間違いなく首謀者だと認定されます。反逆罪の首謀者の法定刑は死刑しかありません。それがわかっていて、私を置いていくとおっしゃるんですか」
 真田は目を閉じた。それは、数日前からずっと考えていたことだった。緑は頬の涙をぬぐって続けた。
「…それに、計画がわかれば、司令部はあらゆる手段で発進を止めようとするでしょう。首謀者の妻なんて、格好の人質です。もしどうしても置いていくとおっしゃるなら、司令部に捕まってあなたの計画の障害になる前に命を絶ちます」
「緑……!」
「どんなに危険でもかまいません。お願い、どうかおそばにいさせて下さい」
 唇をふるわせて必死に訴える緑をもう一度抱きしめ、真田は黙ってその髪に顔をうずめた。…今回の計画が失敗して反逆罪に問われた場合、真田は自首して他の乗組員の助命嘆願と引き替えに処刑されるつもりでいた。しかし、いま緑が見せた表情は、イスカンダルへの航海の途中、銃殺刑を覚悟して宇宙要塞に真田を救出しに来た時や、真田の身代わりとなってコスモクリーナーを始動した時と同じものだった。
(そうだった…こいつはいつも、おれを助けるためならどんなことでも躊躇せずにやりとげてしまう)
 真田は顔を上げ、緑の瞳をじっと見つめながら言った。
「馬鹿をいうんじゃない。おれはおまえを守りたいから白色彗星の偵察に行くんだ。…それなのに自殺するなんていうやつがあるか」
「だって、あなたこそ、反逆罪に問われた時は、作戦終了後、首謀者として自首したうえで処刑されるおつもりでいらっしゃるんじゃないんですか。…もしそんなことになったら、司令部を爆破して、政治家たちを皆殺しにしてでも救出に行きますから」
「……」
「…それより、ご一緒に出撃して、作戦終了後そのままヤマトで逃げて、イスカンダルでもビーメラ星でもどこでもいいですから、亡命してしまったほうがずっといいと思われませんか」
 真田は肩の力を抜いてため息をつき、苦笑した。
「おまえがこんなに気が強いとは思わなかったよ」
 緑はその言葉に頬を赤らめ、しばらくうつむいていたが、もう一度涙をふくとにっこりして言った。
「すみません。私、ほんとうはとてもひどい女なんです。あなたさえご無事で、幸せでいてくださるなら、この地球が滅びたってかまわないと思っています。……あなたのそばにいられさえすれば、たとえ行き先が宇宙の果てだろうと、一生宇宙船の中で暮らすことになろうとかまいません。…あなたのいらっしゃるところが、私の生きる場所ですから」
 その言葉に真田は茫然としていた。…子供のころの大事故以来、一人で生きることに慣れてしまっていた真田は、自分自身の生死や安否を自分以上に案じる者がいると感じたことがなかった。それどころか、事故によって姉を死なせ、両親を不幸にしたのは自分だという負い目が拭いきれず、そのせいで、ヤマトでも常に率先して危険な任務を引き受け、身体にむちうつようにして激務をこなしてきたのである。しかし、今はもう一人ではない。もし自分が死ぬようなことがあれば、おそらく緑も生きてはいないだろうし、これからの選択は、常に真田と緑の二人の人生を変えていくことになる。そのことが、はじめて実感となって迫ってきたのだった。
 真田はしばらく言葉を探していたが、やがて目を閉じ、自分に言い聞かせるように言った。
「そうだな。…おれたちは夫婦なんだものな」
 緑はその言葉を聞くと真田の膝に身を伏せ、堰が切れたように泣きじゃくり始めた。それは、これまで真田に一度も見せたことのない激しい泣き方だった。真田は緑の頭を優しく撫でながら、詫びるように言った。
「すまなかった。おれはおまえのことを考えているつもりで、全然わかっていなかったんだな。おまえを悲しませないように、もっと自分を大切にする。それでいいか。…もし、出航後に長官が敵に回ってお尋ね者になったら、おまえのいうとおり、作戦終了後にイスカンダルに亡命するよ。…そうしたら守にも会えるしな」
 緑はうなずきながら、真田の腰を抱きしめた。固く目を閉じ、真田の存在を確かめようとするかのように頬をすり寄せる。真田は、緑をじっと見つめながら言った。
「ありがとう。おまえと一緒になれて………ほんとうに良かった」

ぴよ
http://yamatozero.cool.ne.jp/
2010年04月10日(土) 09時18分49秒 公開
■この作品の著作権はぴよさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
おはようございます。遅くなりましたがsect.4をお届けします。

Aliceさんの名作「イカルスダイアリー」に,幼い澪ちゃんが真田さんの宇宙要塞のことを本で知って猛烈に心配し,泣くお話があり,とっても大好きなのですが,おそらく真田さんの身近にいて真田さんのことを想っている人はみんな同じ気持ちなんだろうと思います。

あのお話にもありますが,真田さんには早く自分を大切にする「守りの人生」に入ってほしいな,と,ファンとしては常々思っております。
(なのにあいかわらず復活篇でもあんな無茶をして…うう。)

応援してくださっている皆様,本当にありがとうございます。この分ですと前回のように2か月程度で終わりそうですが(汗),最後まで頑張りますね。

この作品の感想をお寄せください。
No.3  煙突ミサイル  ■2010-10-24 15:46  ID:t.3XWgQsmHk
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緑ちゃんは結構怖い、というかすごい人ですね〜。
「政治家皆殺しにしてでも」・・・。いや、実際は彼女の事だから
誰も傷つけずに同じ結果を導き出すのでしょうが、技師長に向かって
そう言い放ってしまうところがすごい。カッコいい。怖いけど(^^;
No.2  Alice  ■2010-04-16 18:02  ID:HvFArhxOHew
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防衛会議の前に…と言うかテレサのメッセージ解析の前に、すでに出撃の可能性を考えていたとは!改めて本当にすごい人ですね、我らが技師長は。
…で、緑は一緒に行くけど、雪は密航する。緑が雪の密航のなんらかの手助けをするのでしょうか。
一緒に行くのと、置いていくのと、どっちが正解なんだろう…とふと思いました。形は違うけれど、きっとどっちも愛なんじゃないかなぁ。
でも親の立場からすれば、娘は置いていって欲しいです(^^ゞ
 
真田さんも今や守るべき人ができたんだから、くれぐれも自重してくださいね。
No.1  メカニック  ■2010-04-10 14:59  ID:LABEjfsNLFE
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感動のあまり目が涙でにじんでよく読めません(T-T)
緑の真田さんへの強く深い愛を感じました!!
総レス数 3

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