第1章 朝 /sect.1



「ん…」
 真田はわずかにみじろぐと時計を見た。カーテンの隙間からは朝の光が斜めに差し込んでいる。7時5分前…本来ならもう起きなければいけない時刻だったが、今日は地球に戻って以来、8か月ぶりにとった休暇の初日だった。起こしていた頭をもう一度枕につけてから傍らを見る。そこには、真田に身を寄せるようにして眠っている緑がいた。
 結婚してから今日までの間、毎日必ず真田より早く起きて朝食の支度をしていた緑だったが、今日は初めての休暇にほっとしたのか、真田のほうを向いて横になり、少し首を傾けて、軽く握った両手を口元の近くに置き、幸せそうな、安心しきった表情で眠っている。地球に戻ってからというもの、コスモクリーナーの量産プラントの建設や大型の食料供給システムの設計などに忙殺され、連日深夜まで働きづめに働いていた真田は、こうして朝の光の中で緑の寝顔をゆっくり見たのは初めてだった。しなやかな黒髪はキラキラと輝きながら枕の上に広がり、透き通るように白い頬に長い睫毛が影を落としている。それはまるで眠っている天使を見るようだった。愛しさに胸が熱くなる。
 その時、緑は瞼をかすかに震わせ、数回瞬きした後、ゆっくりと目を開いた。真田が自分を見つめていたことに気付き、頬がうっすらとバラ色に染まる。真田は何も言わず緑を抱き寄せ、美しい曲線を描く背中から腰へと、そっと手を滑らせた。
「あ……」
 小さな吐息とともに、緑が真田の胸に顔をうずめる。薄い夜着に包まれたほっそりとした身体が、真田の腕の中で火のように熱くなる。緑が顔を上げ、どちらからともなく唇が合わさった。長いくちづけの後、緑は真田の頸を固く抱きしめて目を閉じ、真田は緑の身体をそっと自分の体の下に包み込んだ。





 緑は真田の肩に頭をあずけ、真田の心臓の鼓動を確かめるようにそっとてのひらを滑らせた。
「今でもまだ、夢じゃないかって思う時があります。こんなふうに、あなたと一緒にいられるなんて…」
「おれだってそうだ。あの航海では何度もおまえを失いそうになったからな」
 そう言うと、真田は体を起こした。思い出すように、じっと闇をみつめる。
「この前、夜中に大声でおまえの名前を叫んで起こしてしまったことがあったよな。…今でも時々、冷たくなったおまえの体を抱いている夢や、七色星団でおまえを探している夢を見るんだ」
 真田は振り返り、真剣な表情で緑を見た。
「緑、今度、何か危機が迫ったことを予知しても、決して自分一人で処理しようとするんじゃないぞ。おれは二度とおまえを危険な目にはあわせない。わかったな」
 緑は身体に上掛けを巻きつけ、身を起こしてじっと真田をみつめていたが、ふっと視線を落とした。
「わかりました。…でも、あなたが…」
 言いかけて、しばらく迷っていた緑は、やがて目を上げた。
「あなたが、もしまた戦いに行く時がきたら、必ず私も一緒に連れていって下さい。それに、もう二度と特攻には行かないで」
 黒い瞳がうるむ。緑は真田の胸に身を投げかけた。
「…私、ずっとあなたのおそばにいます。もしあなたが先に戦死なさるようなことがあっても、すぐにあとを追いかけますから」
「緑…」
 真田は緑を抱きしめた。
「すまん。せっかく平和になったのに、辛いことばかり思い出させてしまったな。…明日はおれたちの結婚式なんだ。これからは幸せな思い出をたくさん作っていこうな」
 緑は顔を上げて微笑んだ。真田は指先で緑の頬の涙を拭いた。
「じゃ、先にシャワーを浴びておいで。とりあえず、今日はおまえのドレスを決めに行かないといけないんだろう。ずっと働きづめで、行く暇なんて全然なかったからな」
「ええ。…もし間に合わなかったら、制服でもいいかしらと思っていたんですが」
「何言ってるんだ。おれは地球に着いた日にいきなり結婚してしまって、おまえにすまないことをしたと思っている。式の時ぐらい、自分の思い通りのドレスを着てくれ。それに、昨日廊下で青木に会ったら、地球にいるやつはみんな出席するって言ってたぞ。おまえが制服なんかで現れたら、失望した連中が暴動を起こすよ」
 緑はくすっと笑うとベッドのヘッドボードにかけてあった夜着をとり、ふわりとまとってから真田の頬にキスした。
「ごめんなさい。シャワーの後すぐに食事の用意をしますから…少し待っていていただけますか」
「ああ。ゆっくりでいいよ」
 小走りにシャワールームへ向かう緑の後ろ姿を見ながら、真田はあらためて幸せをかみしめていた。小学生の時、月の遊園地の大事故で姉の命と自分の手足を一度に失ってからというもの、真田は穏やかな家庭生活と無縁の暮らしを送ってきたのだった。
 …当時まだ未発達だったサイボーグ技術のために、研究施設を兼ねた病院での暮らしは長引いた。試作品の義手義足の性能は悪く、リハビリとも人体実験ともつかない治療がいつ果てるともなく続いていたのである。そんな中で、真田は独力で工学の勉強を始めた。そして、15歳になった真田が実用に耐える義手義足の基本設計を完成させた時、既に真田の両親は離婚していた。幸せだった一家を襲った悲劇が、両親の心にどのような影を落とし、そしてその影がどのようにして夫婦の溝を広げていったのか、真田には知るよしもなかったが、あの事故が家族全員の運命を変えたことは間違いなかった。
…そして二か月後、研究施設を退院した真田は、その足で宇宙戦士訓練学校の幼年部に入隊したのである。関東地区にいた両親がガミラスの爆撃で相次いで爆死したのは、それから六年後のことだった。


 地上の市街地は著しい復興を遂げていた。冥王星基地が壊滅し、ガミラスからの爆撃がやんだ数か月後、天地創造以来というような豪雨が地表を襲い、その雨は何か月も続いた。そして、ヤマトが地球に戻った時、既に地上には一部ながら海が蘇っていたのである。放射能除去装置が地下都市の放射能を駆逐した後、急造された二号機以下の量産品が地上に次々と据えつけられ、大気と大地、そして海の放射能を除去していった。まだ不安定な地上の気候から人々を守るため、エネルギーシールドによるドームが設置され、都市はそのドームの中で驚異的な勢いで成長を続けていた。毎日、仕事場と官舎を往復していた二人には、活気にあふれた市街地がまるで別世界のように見えた。
「凄いな。…ここまで復興しているとは思わなかった」
「そうですね。このあたりは三号機の据え付けをした後、一度も来ていませんでしたから」
 そう言いながら、緑はまぶしそうに真田の顔を仰いだ。二人とも、プライベートで着る服は部屋着以外には全くといっていいほど持っていなかったため、今日もやむなく制服で外出している。地球防衛軍司令部の制服はウエストをベルトで締める形の暗緑色のスーツで、その下にハイネックの白いアンダーシャツを着ることになっていた。通りすがりの若い男が、驚いたような表情で緑を見ている。緑が気付かずに歩きすぎた後も、男はぽかんと口をあけたままずっと緑の姿を見つづけていた。真田は男の視線に気付き、眉をひそめた。
「いかんな」
「どうなさったんですか?」
「いや。…私服を買っておかなかったのは失敗だったな、と思ってさ。これじゃまるで、仕事をさぼって美人の部下とデートしているスケベ軍人、って感じだ」
 緑は吹き出した。真田はすぐ横の衣料品店を指差した。
「まず、あそこで休暇らしい服を買おう。このままだと、きっとそのうち司令部に苦情電話が行くぞ」
 緑は体の後ろで指を組み合わせ、首をかしげてにこっと笑った。長い髪が揺れる。端正な顔立ちのために大人びて見えていた緑だったが、ヤマトに乗っている時は決して見せなかったそんな少女らしいしぐさをすると、まだ19歳になったばかりという若さが際立って見える。真田の心臓がどきんと音を立てた。緑はそんな真田の気持ちには気付かず、微笑みながら真田の腕に手をかけた。
「どんな服がいいでしょうね。あなたは紺色が似合うから…」
「俺は適当でいいよ。おまえは気に入った服があったら好きなだけ買うといい。なにしろ年頃の女の子なんだからな」
 その言葉に、緑は声をたてて笑った。
「どうなさったんですか。何だか変です。…私、あなたの奥さんなんですよ」
「そうだな。…いや、とにかく店に入ろう」
「はい」
 緑は真田の腕にすがったまま、顔を上げて微笑んだ。
「ほんとうにうれしいです。…こんなふうに、あなたとデートできるなんて」

ぴよ
http://yamatozero.cool.ne.jp/
2010年03月17日(水) 21時57分42秒 公開
■この作品の著作権はぴよさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
たいへんごぶさたいたしております。ぴよでございます。
第二部の本編をupすることができて,本当にうれしく思っております。こちらのページを開いてくださった方に厚く御礼申し上げます。

今回,いきなり……な展開ですので,驚かれた方も多いのではないかと思いますが,この部分は8年前に前作を書いた直後に書いておりますため,最終章の気分をそのまま引っ張った結果,このような展開となった次第です。甘口が苦手な読者様,どうぞご容赦くださいませ。
(なお,この後はあまり甘い展開は出てこない…と思います。)

次回は吉川くんたちが出てまいります。どうぞよろしくお願いいたします。

この作品の感想をお寄せください。
No.4  煙突ミサイル  ■2010-08-30 15:26  ID:t.3XWgQsmHk
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前作はさっき読み終わったばかりです。読みたい、でも勿体ない、のジレンマに我慢できず「でもちょっとだけなら・・・」と読んでしまいました。モスグリーンファンの私としては、緑ちゃんと真田さんのダブルモスグリーンはたまりませぬ。メカニックさんも書かれていますが、緑ちゃん、大人っぽくなりましたね。私もこれから「緑さん」と呼ぼうかな・・・。今後の展開、楽しみです。
No.3  Alice  ■2010-04-05 11:52  ID:RsZmjQ4olvo
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私としたことが、出遅れましたm(__)m
2部の掲載が始まって、大変嬉しく思っています。
これからまた健気でかわいい緑と、地球一できる男なのに純情な真田さんの世界にひたれるのかと思うと、ワクワクします。
のっけからラブラブで幸せいっぱいな展開、妬けますけど嫌いじゃないんで、お二人さんにはもっとイチャイチャさせてあげてくださいね。
イラストも相変わらず美しく、見とれてしまいます。
これから長丁場ですが、ぴよさん、頑張ってください!楽しみにしています。
No.2  なんぶ  ■2010-03-25 09:18  ID:7zCdwJriPao
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前作を復習してまいりました^^
8年前と同じ所でドキドキし、笑って、涙して・・・感動しました。
対白色彗星の展開、ぴよさんの世界に期待しています。
No.1  メカニック  ■2010-03-21 15:10  ID:LMMpoHtVW8U
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出だしが非常に甘い展開でびっくりと同時になんだかいいですね(*^^*)
イラストが二枚あり物語をイメージしやすいです。
緑が大人っぽくなりましたね!
二人の結婚式が終わるまで彗星帝国よ、来ないで!!
総レス数 4

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